やりたいことより大事!?やれること・やれないことについて。

こんにちは、ちゅり子です★

 

皆さんは、「やりたいこと」を追求していくタイプですか?

それとも、「やりたいこと」というよりは、「やれること」を、とにかくおこなっていくタイプですか?

 

世間では、「やりたいこと」を追求する事が主流になっているような気がします。

ティーブジョブスとかの名言でも言われていますよね。

 

「やりたいことはなんですか?」「どうゆう風にしていきたいですか?」

 

正直言って、私は、本当にやりたいことが、昔からわかりません。

もちろん、「これ食べたい」とか、「あそこに旅行行きたい」とかはあります。

 

仕事とか、生き方の面で、「こうしたい!これやりたい!」と言うのが、はっきりわからないのです。

 

「自分はこれがやりたいんだ!」という事がはっきりわからないことによって、

「やりたいこと探し」の迷路に迷い込んでいることも多い気がします。

 

 

私も節目節目に、このやりたいこと迷路に挑戦している時があります。

↓そして

出口がわからないまま、結局やりたいかどうかわからないことをする。

↓そして

そしてモヤモヤしたまま日々を過ごす。

↓そして

「これはやりたくないことだ」と思い、悩む。

 

そんな私の世界観を変えた考え方に出会いました。

 

それは、「やりたい・やりたくない」ではなくて、「やれるか・やれないか」で物事を判断して行う。

というもの。

 

どういうことか説明していきたいと思います。

 

■林 修先生から学んだ「やりたいこと・やりたくないこと」より「やれること・やれないこと」

 

以前、テレビ番組で、林先生が、「高学歴ニートの方々」を相手に授業をするというものがありました。

 

その中で、高学歴ニートの方が、「好きな仕事じゃないと働きたくない」という発言がありました。

 

それに対して林先生は、「やりたいこと・やりたくないこと」を基準に物事を考える人と、「やれること・やれないこと」を軸に考える人の話を始めました。

 

もちろん、「やりたいことでやれること」があったら最高だし、「やりたい事」を追求していくタイプを否定はしないと始めます。

 

しかし、林先生は、「やりたい・やりたくない」の軸から、「やれる・やれない」の軸で考えるようになってから、とても楽になったと言います。

 

まず、「やりたい」事というのは偶然で、

「やれる」事というのは必然だというのです。

 

「やりたい」事は、時代や情報によって変わっていく。

例えば今やりたいことが「ゲーム」だったとしたら、それは100年前に生まれていたとしたら、なかった願望。

「やりたいこと」は、情報や環境によって偶然に生まれたこと。

 

一方「できる」事というのは必然だと言い、この場合の「できる」は、自分が思っているだけの「できる」ではなく、ある程度の数の他人が認める自分に「できる」ことを言うのだそう。

 

林先生の場合は、「やりたくないけどできる」ことを平気でできる人だと言っていました。

 

林先生は、どこの塾に行っても「次また来てくれ」と言われていたそうですが、塾講師の仕事をやりたくなくて、やりたかった銀行員になったとのこと。

向いてないと思いつつやっていたが、借金なども増え、3年間で見切りをつけ、塾講師を始めた。「やりたいこと・やりたくないこと」ではなく、「やれること・やれないこと」に切り替えてから、悩んだことが一度もなくなったとのこと。

 

また、「やりたかった銀行員」というものは、当時「羽振りがよく良いイメージ」だったという情報に踊らされてただけだったんだとも言っていました。

 

私の人生を振り返っても、納得がいったし、

単純なことだけど、目からうろこの考え方でした。

 

 

■自分のやれること・やれないこと

 

私自身、振り返ってみても、「やれること」にフォーカスせず、「やりたい(と思い込んだこと)」をわざわざ選択してきたような気がします。

 

私自身、接客業は「できる」ことなのですが、なんとなく事務仕事の方が「落ち着いててかっこいいな」と思い、挑戦してみたことがありました。

まわりの知り合いにも、「事務の方が長くできるし、楽だよ」と。

しかし、試したときは最悪でした。笑

まず、私はコツコツとした事をするのが苦手だし、スケジュール管理も苦手。ずっとパソコンの前で座っているのも苦手。

やる前からわかっていた事なのに。笑

結局1年ちょっとで辞めてしまいました。

 

ただ、若いうちは、「やれること・やれないこと」が何かはっきりわからないというのもあるので、チャレンジすることはもちろんいい事だと思います。

「やりたい」事に挑戦して、失敗することも大事だと思います。(成功するかもしれないしね)

 

しかし意外と、「できること」というのは、自分の中で軽く見がちではないかと思うんです。

 

私にとっては、「接客」はなんとなく最初からできることで、事務のような細かい作業や確認をしっかりするような事は「すごい」事と思ってします。

 

また、20代前半の時に、仕事の転職を考え、上司に相談した時の事です。

もっと華やかで活躍できる仕事をしたいと思っていた私は、その旨を上司に伝えた時、「あなたは仕事をバリバリやるよりは、将来は主婦になっていい奥さんになっていると思うんだよね」と言われたのです。

その言葉は、20代の間、反発心とともに心の中にずっとあった言葉です。

「いや、私は仕事を頑張る女性になりたいんだ!」と。

でも結局、体も弱く、そんなにバリバリできない自分がいて、結局今の私は専業主婦です。そしてそれがとても心地いいのです。

 

私にとって誰かの主婦になることは簡単に「できる」こと。仕事をバリバリすることは「すごい」ことだったのです。

 

その、「すごいこと」の方がやってみたくなる。

 

こういう事ってありませんか?

 

しかしそれは、せっかくの自分の才能と時間を無駄にしてしまっているのかもしれないと、改めて感じました。

自分のできることで仕事をした方が、周りも喜ぶし、自分も楽だと思うんですよね。

 

 

■やれること・やれないことは人それぞれ違う

 

前に、東洋経済オンラインの記事で、「恋人を獲得する能力を持つ人は3割」というものを読みました。

その記事では、「現代の人に恋人や配偶者がいない人が多いのは、恋愛ができない人が増えたわけではない。昔は、お見合いという制度や、紹介が多かったからであり、現代はそういう文化が消えてきたせいだ。昔から恋愛をできるのは3割の人間」という内容が書かれていた。

また、恋愛ができない人に対して「恋愛しろ」という事は、「100mmを9秒台で走れ」と言っているようなものだとも。

 

衝撃でした。

 

「恋愛は、頑張ればみんなできるもの」だと思っていませんか?私は思っていました。

だから、恋人や夫婦になった人は、恋人がいない人に対して「頑張っていい人見つけなね」とか言います。

でもこの記事を読んだときに、自分の考えを改めさせられました。

 

「自分のできる」は「他人のできる」ではないということ。

 

これはすごく大事なことです。

 

本当に少数の人しかできないことは、みんな「あの人みたいにはできないよね」とわかります。

でも、ある程度の人ができることを、できない人がいると、「なんでこんな事もできないの?」と思います。

「努力が足りないんじゃないか」とも。

 

でも違います。

 

できないことはできないのです。

 

私自身も、子供ができません。

でもきっと、子供が簡単にできた人にとっては、「いやいやできるよ。考えすぎてるからじゃないの?こうすればできたよ。」等と言います。(もちろん悪気がなくてもね)

こっちからすると、「考えないこともやったし、いろいろやった。でも、できないものはできないんだよ」と思います。その一方で、「できないのは自分の努力が足りてないせいなのかな」と考え込んだりもしてしまいます。

 

こうやって私たちは人に対して、知らず知らずに傷つけていることが多いのだと思います。

私も今まで、大勢の人を傷つけたという認識もあります。

 

人それぞれ「できる」事と「できない」事は違う。

それであれば、みんながそれぞれのできる事をのばしていったら、とても良い世の中になるんだと思います。

 

 

■「やれること」「やれないこと」にフォーカスして生きてく事にした。

 

私は、4年以上の妊活の中で、

「本当に子供が欲しいのだろうか?」と考えることが多くありました。

 

それを考えた時、答えは、「NO」の事が多いのです。

 

子供が出来たら自分の時間もなくなるだろうし、疲れるだろうし、嫌だな、と。

それなのに自分は妊活をしているという矛盾で苦しんだこともかなりありました。

 

じゃあなぜ妊活をしているのか。

今の年齢でしかできないことだし、旦那のために子供を作ってあげたいし、何より、私たち夫婦は、子供にいっぱい愛情を注いであげることができると思っているからなのかもしれません。

 

子供ができないなら、それは「やれない」事なんだからやめれば?という声も聞こえてきそうですが、(この流れだと、それも一理ありますが)

 

今の時代は不妊治療というものがあって、体外受精という事ができる。

私たちには幸いにも治療費を払えるだけの貯金もある。

そして、今の年齢だったらできるかもしれないこと。

 

それだったら、「やりたいかどうか」ではなく、「やれるかどうか」を軸にして考えようと思った時、悩みが一つなくなりました。

 

「今は体外受精というチャレンジができる。子供が本当にいるかどうかという事は、もう考えないようにしよう」と。

 

このチャレンジで、できるところまでやって、

できなければ、それは本当に「できなかった」事として、

新たな「やれる」事を探していたいと思います。

そう思っていたいと思います。

 

もし皆さんの中にも、「やりたい」事探しに悩んでいる方がいらっしゃれば、

「こういう考え方もあるんだ」と、思ってもらえたらうれしいです。